テリー・ギリアム Terry Gilliam 

 
名前 テリー・ヴァンス・ギリアム Terry Vance Gilliam
誕生日 1940年11月22日
出身地 アメリカ合衆国、ミネソタ州メディシンレイク Medicine Lake, Minnesota
家族 父:フォルジャー・コーヒー Folger's Coffee のセールスマンなどなど
母:?
妹:1942生まれ、
弟:1950年生まれ。ロス警察の警部をしている。
出身校 カリフォルニア、オキシデンタル・カレッジOccidental College (政治学)
結婚 1973年、『空飛ぶ〜』のメイキャップ担当だったマギー・ウェストン Maggie Weston と結婚(彼女は、後のギリアム映画にもスタッフとして参加)。
子供 アミー・レインボー Amy Rainbow:1977年誕生、女の子。
ホリー・ドゥボイス Holly Dubois :1988年誕生、女の子。
       (『ブラジル』では、マイケル演じる役人の娘ホリー役で出演)。
ハリー・サンダー Harry Thunder :1988年誕生、男の子
現在の住所 ロンドン、ハイゲート・ハイツ Highgate Heights
主な活動 『ジャバウォッキー Jabberwocky 』(1977)
『バンデットQ Time Bandits 』(1981)
『未来世紀ブラジル Brazil 』(1985)
『バロン The Adventures of Baron Minchausen』(1989)
『フィッシャー・キング The Fisher King』(1991)
『12モンキーズ 12 Monkys』(1995年)
『ラスベガスをやっつけろ Fear & Foathing in Las Vegas』(1998)


 パイソンズ唯一のアニメーターにして、唯一のアメリカ人、テリー・ギリアム。奇想天外なアニメーションは、パイソン作品の特徴とも言えるスケッチのリンキング(連鎖)で重要な役割を果たし、またパイソンズのヴィジュアル・イメージも作り上げました。今となっては、すっかり「映画監督テリー・ギリアム」ですが、『空飛ぶ〜』では裸でオルガンを弾いたり、変なオカマ役を演じたりとなかなかの名脇役ぶりを発揮。カエサル曰く、「汝、豆をむさぼり食べよ」(何かを成し遂げるには捨て身の気概が必要である、という意)。

  テリー・ギリアムは1940年、アメリカ合衆国ミネソタ州のミネアポリスに生まれました。自然がいっぱいの環境で育ったギリアムは、トム・ソーヤやハックルベリー・フィンのような毎日を送ったそうで、木の上に小屋を作ったり、そこから雪の上へダイビングしたり、と随分やんちゃな子どもだったみたいです。

 1951年、妹が喘息だったため、ギリアム一家は雪のミネソタを離れてカリフォルニアへ引越。その後、ギリアムは地元のバーミンガム高校に入学しました。パイソンでの姿からは想像もつきませんが、ギリアムはかなりの優等生。成績優秀、棒高跳びでは賞を貰い、生徒会長も務め、ダンスパーティではキングに輝くという、デヴィッド・ワッツみたいな高校時代を送りました(ギリアムによれば、当時の南カリフォルニアの教育水準が恐ろしく低かったから、だそうですが)。 

 1958年、オキシデンタル・カレッジに入学。理数系が得意だったギリアムは始め物理学を専攻しますが、6週間後には美術に転向。しかし、結局は政治学に落ち着き、学業もそこそこに学内誌「ファン」の編集など励んで、イラストレーションの腕に磨きを掛けたのでした。卒業も間近になると、ギリアムは自分の書いたマンガをハーヴェイ・カーツマン Harvey Kurtzman(編集者、漫画家。『Mad』の初代編集長)に送り、その結果、卒業後はN.Y.で同氏が編集する『Help!』で編集アシスタントとしての職を得ました。
 
 『Help!』で特筆すべきは、同誌に掲載されたギリアムとジョン・クリーズのコラボレーション。たまたまケンブリッジ・サーカスの公演でニューヨークに来ていたジョンをフューチャーして、ギリアムが写真によるコマ割りマンガを制作、この出会いは後にギリアムがイギリスのテレビ界に進出する上で、重要な布石となりました。(ジョン扮するビジネスマンがバービー人形にハマるというストーリー。このマンガは、Kim"Howard"Johnson著「The First 280 Years of Monty Python」で読むことが出来ます)。
 
  しかし『Help!』は3年で廃刊となり、何を思ったか、ギリアムは州軍に入隊。『テリー・ギリアム映像大全』(ボブ・マッケーブ著、河出書房新社)によれば、それはヴェトナム戦争(1954-73)の徴兵を免れるための一手段だったらしく、ギリアム自身は反政府・反戦の漫画も描いたりしていました(渡英後、ギリアムは英テレビ界の知人らの助力を得て、米軍名誉除隊というかたちでヴェトナム戦争の徴兵を忌避)。

  州軍除隊後もニューヨークを離れ、ヨーロッパをヒッチハイク旅行するなど、なかなか悩める青年時代を送りました。でも、軍ではキャンプ内新聞の編集を手がけ、旅行中にお金が無くなるとパリの雑誌社でアルバイトをしたりと、「芸は身を助く」を地で行くさすらいのイラストレーターって感じで、かっこいい。以下はギリアムの言葉。「漫画家って、ミュージシャンの次にいいもんだよ。ギターをかき鳴らせば、言葉なんて問題にならないだろ。たとえピンチに陥っても、マンガはギターと同じ効き目を発揮するんだ」(George Perry著「Life of Monty Python」より)。

  ニューヨークに戻ってからも、子ども向けの本にイラストを書いたり、広告代理店にアートディレクターとして就職したりしますが、いまいちパッとしなかったため、1967年、ギリアムは仕事の拠点をロンドンへと移しました。しかし、仕事はいくつか見つかったものの、出版社が潰れたりして上手くいかず、ついにギリアムは出版業に見切りをつけ、テレビ界に進出することを決意。

  そこでギリアムの頼みの綱となったのが、コメディ界の輝ける新星ジョン・クリーズ。ジョンはギリアムに、プロデューサーのハンフリー・バークレー Humphrey Barclay を紹介。自身も漫画家だったバークレーはギリアムに興味を持ち、子供向け番組「Do Not Adjust Your Set」でアニメーション制作の仕事を与えました。その番組を通じて知り合ったのが、後にパイソンズとなるマイケル・ペイリン、テリー・ジョーンズ、エリック・アイドルです。こうしてアメリカ人イラストレーターのテリー・ギリアムはイギリスのコメディ番組「モンティ・パイソン」への足がかりをつかんだのでした。めでたし、めでたし。

  一口にアニメーションといっても様々ですが、ギリアムが作っていたのは、切り絵によるアニメ。美術作品や昔の写真、ギリアム自身によるイラストを切り抜いて、少しずつ動かしたものを撮影し、アニメに仕立てていました。この方法は時間と手間が掛からない分、セル画アニメーションのような滑らかな動きはなかなか出せませんが、あのギクシャクとした動きは、ギリアムの狂気じみた表現世界にすごくマッチしていますね(でも、お金と時間に余裕があったら、ディズニー的なアニメにも挑戦してみたかったんだそうです)。余談になりますが、ギリアムのアニメが好きな人には、チェコスロヴァキアのアニメーション作家ヤン・シュヴァンクマイエル Jan Svankmajer の作品もオススメ。粘土と切り絵を使って繰り広げられる残酷で破壊的なユーモアは、ギリアムに通ずるものがあります。

  モンティ・パイソンでは毎回、ミーティングを開いて番組の構成やスケッチを決めていましたが、ギリアムはあまり参加していませんでした。アニメの制作に忙しかったせいもありますが、一番の理由はプレゼンテーションをするのがものすごく苦手だったため。どんなものを作るのか説明してもメンバーは戸惑うばかり、結局は完成作品を見せて初めて分かって貰えるという始末でした。でも、議論好きのイギリス人に囲まれながら、奇想天外なアニメーションの筋を言葉で説明するというのは、ギリアムでなくともイヤになるかも(ジョンに言わせれば、ギリアムのボキャブラリーが30語しかないから理解できないんだそうですが)。

  ギリアムがスクリプト(脚本)の方に関わることは殆どありませんでしたが、役者としては脇役で参加していました。出演回数は少ないのに、「スペイン宗教裁判」(「空飛ぶ」第15話)のファン枢機卿や、映画『ホーリー・グレイル』の魔法使い、『ハリウッド・ボウル』の「イジメ発達史」などなど、オイシイ役の多いギリアム。名役者とは言わないまでも、あの類人猿っぽい演技には光るものがあります。

 ちなみに彼の奥さんは、『空飛ぶ〜』をはじめとするパイソン作品でメイキャップを務めたマギー・ウェストン。彼女は『未来世紀ブラジル』などでもスタッフとして参加しました。…ジンジャーのメイクをしながら、愛を育んでいったのでしょうかねぇ。

  もう一つ忘れてならないのが、映画監督としてのテリー・ギリアム。『ホーリー・グレイル』ではテリー・ジョーンズと共同監督を務め、さらに『人生狂騒曲』では、パイソンと一線を画すかたちで、短編『クリムゾン、老人は荒野をめざす The Crimson Permanent Assurance 』を制作しました(その「一線」も、本編では飛び越えられちゃいますけどね)。

 すでに『ジャバウォッキー Jabberwocky 』(1977年)や『バンデットQ Time Bandits 』(1981年)を発表していたギリアムは、パイソン以降も監督としての道を進みました。中でも『未来世紀ブラジル Brazil 』(1985年) のカルト・ブームは、「監督テリー・ギリアム」の地位を確固たるものにしました。1995年には『12モンキーズ 12 Monkys』(1995年)が大ヒット、最近も『ラスベガスをやっつけろ Fear & Foathing in Las Vegas』(1998年)を発表したので、「パイソンは知らなくてもテリー・ギリアムは知っている」という人の方が多いのかもしれませんね。彼の作品に貫かれる幻想的な映像世界は本当に素敵。パイソンファンに限らず、オススメしたい監督です。


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