ジョン・クリーズ John Cleese 
名前 ジョン・マーウッド・クリーズ John Marwood Cleese
誕生日 1939年10月27日
出身地 サマセット州、ウェストン・スーパー・メア Weston-Super-Mare, Somerset
家族 父:レジナルド・フランシス Reginald Francis (保険セールスマン)
母:ミュリアル・クロス Muriel Cross    
兄弟:なし
出身校 ケンブリッジ大学、ケンブリッジ・フットライツでグレアムと出会う。
結婚 1968〜76年:コニー・ブース Connie Booth 
1981〜90年:Barbara Trentham
1992年 〜 :Alyce Faye Eichelberger
子供 シンシア Cynthia :1971年誕生、女の子(『ワンダ』にポーシャ役で出演)。
カミラ Camilla :1984年誕生、女の子。
現在の住所 ニューヨーク(?) *ロンドンのホラント・パークに住んでいましたが、渡米したようです…。 
主な活動 『フォルティ・タワーズ Fawlty Towers 』(1975-79)
『ワンダとダイヤと優しい奴ら A Fish Called Wanda 』(1988)
『危険な動物たち Fierce Creatures』(1996)

  長身揃いのパイソンの中でも、一番背の高かったジョン・クリーズの身長は195p。そんな神様の贈り物を活かし、パイソンでは威圧的な役人や善良な人々をネチネチといじめるイヤな人物などを多くこなしていました。中でも、顔を紅潮させて怒鳴り散らす「フルーツ護身術」(『空飛ぶ』4話)の曹長やヒトラー(12話)など、マッドな権力者をやっている時の彼は水を得た魚のよう。でも、ジョンのすごいところは、型にハマることなく、どんなキャラクターでもササッと演じてしまえること。あの体格と顔つきだけに、おどおどした弱気な役を演じると可笑しさも倍増です。ボクサーのケン・クリーン・エアシステム(18話)やガンビーなど、動物的な役でも絶妙の演技を見せていました。

  また、英語を外国語風に喋るのも、彼の十八番。「羊型飛行機」(2話)のフランス人や、「リャマ」(9話)の司会者など、ほんとにフランス語やスペイン語を喋っているのかどうかすら、私には聞き分けがつきません。そういえばドイツ版『空飛ぶモンティ・パイソン』(第1作目は、メンバー自身がドイツ語でセリフを喋っている)で、一番流暢にドイツ語を話していたのも、ジョンだったような…。

  そんなジョンですが、実はケンブリッジ大学で法学を専攻し、弁護士資格も持っていたりなんかします。もし、そのまま法曹界に進んでいたら、あのお堅い顔つきと恰幅の良さで、さぞや威厳のある弁護士さんになっていたことでしょう。パイソンで最も有名なスケッチの一つ「バカ歩き省」(14話)があれだけ面白いものに仕上がったのも、ジョンの風格があってこそ。そう考えてみると、ジョンの高圧的な雰囲気を本当に活かせるのは、コメディをおいて他には無かったのかもしれませんね。

 ジョンは1939年10月、イギリス・サマセット州に生まれました。イギリスでも珍しい「クリーズ(クリースと読む人もいます。どちらが正しいんでしょ)」という姓は、もともとチーズ Cheese だったものを、ジョンのお父さんが従軍する際に変えたものだとか。小さい頃から体が大きく、12歳で既にに6フィート(約183pの小学生って…)あったためにアウトサイダーになりがちだったジョンは、友達を笑わせることで打ち解けていったんだそうです(涙)。1958年にクリフトン・カレッジ Clifton College を卒業した後は、プレップ・スクールで2年間、教師を努めながら学費を貯め、1960年にケンブリッジ大学に入学しました。

  入学1年目にして、大学のコメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ Cambridge Footlight」への参加が認められたジョン(フットライツに参加するにはオーディションに合格しなければいけない)、そこで出会ったのが、後々までのライティング・パートナーとなるグレアム・チャップマンです。ジョンはフットライツの公演でたちまち頭角を現し、学生の時からBBCラジオ番組の仕事をも受けるようになっていました。

  また、1964年のケンブリッジ・サーカス公演でアメリカに渡った際、ジョンは「ヘルプ! Help! 」誌の写真コラージュ漫画に参加しますが、そのとき知り合ったのが、同誌のアシスタント編集者を勤めていたテリー・ギリアム。それ以降も二人は連絡を取り合っていたようで、ギリアムがイギリスを進出するためのコネクションを用意したのも、ジョンでした。

  卒業後もラジオ・テレビ界に進んだジョンは、グレアムと共に「The Frost Report」(この番組にはエリック、テリーJ、マイケルらも参加)、「At Last ,The 1948 Show」(1967年)などに参加。日本でも観られる作品としては、ピーター・セラーズ&リンゴ・スター主演の映画「マジック・クリスチャン The Magic Christian」(1968年)があります。ジョンはサザビーの競売人役、グレアムはボート部員役で出演、脚本も少しだけ書いていたようです(とても笑えるカッコイイ映画です。ピーター・セラーズにうっとり)。将来パイソンになるであろうメンバーの中で一番の売れっ子だったジョンは、オックスブリッジ・マフィア(当時BBCを牛耳っていたオックスフォード、ケンブリッジ卒のエリート集団)のお気に入りでもあり、「空飛ぶモンティ・パイソン」も、ジョンにテレビ番組制作の声が掛かったことがキッカケであったといわれています。

  ジョンは『空飛ぶ』でも主に、ケンブリッジ大学以来のパートナーであるグレアムと共にスクリプト(脚本)を制作。視覚的な笑いを志向したテリーJ&マイケルに対し、ジョンたちが好んで書いたのは、「死んだオウム」(8話)に代表されるような、言葉のやり取りを中心に展開するスケッチ。ロジカルな考え方をするジョンは、どんなシュールでバカバカしいスケッチに対しても、常に理性的な裏付けを求めていたんだそうです。

以下はグレアムの言葉。
 「ジョンは出来上がったスケッチを簡単になくしちゃうんだ。自分の机の上に置いていたヤツでもね。2人でジョンの家中を探したとしても、絶対に見つからなかっただろうな。あれは、確かに消えたんだ。きっとシュレッダーにかけられたか、どこかスケッチのブラックホールみたいなところにあるんだと思うよ。でも、どういうわけか、魔法のように消えてしまうのは、ジョンが書き直さなくちゃいけないって思った下書きなんだ。下書きが見つかることは絶対に無かったから、また書き直さなきゃいけなかったわけだけど、結局はその方が良い結果を生むってことも多かった。ジョンは身の回りの事をすぐ忘れちゃうし、いいかげんだったけど、それ以外の精神的な面では本当に几帳面な考え方をしてたよ」('First 20 Years of Monty Python'より)。

  けれども、当初からパイソンズのキーパーソンとして活躍してきたジョンは、第3シリーズを最後に『空飛ぶ〜』から離脱。第4シリーズは残りの5人だけで制作されました。確かなところは分かりませんが、ジョン自身が第2シリーズの終わり頃から『空飛ぶ〜』に飽き始めていたことが一番の理由のようです。ものの本によっては、何かと意見の対立することの多かったテリー・ジョーンズとの不仲を原因とする見方もありますが、そうした対立そのものよりも、パイソン内の緊張ある関係にすら飽きてしまったことに理由があるような気がします(あくまで推測。物を投げるほどのケンカをする2人ですからね、部外者には測り知れないものがあります)。脱退以降は、当時奥さんだったコニー・ブースと共にTVコメディ番組『フォルティー・タワーズ』を制作、『空飛ぶ〜』に劣らぬ成功を収めました。しかし嬉しいことに、映画『ホーリー・グレイル』を機に、ジョンは再び戦線復帰。以降は『ライフ・オブ・ブライアン』『人生狂騒曲』と全ての映画に参加しました。

  パイソン以降はさまざまなコメディ番組に参加・出演。中でもジョンが脚本・主演を務めた映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(1988)はスマッシュ・ヒットを飛ばしました。ダイヤ強盗のドタバタに平凡な弁護士が巻き込まれていくコメディ映画で、ジョンが演じる弁護士の「アワワなおじさん」ぶりが笑えるオススメ作品。続編の『危険な動物たち』も興行的にはあまり成功しませんでしたが、私は好きな映画です。コメディ以外では、カウンセリング本を出版したり、ビデオ製作会社「ビデオ・アーツ」を立ち上げて、企業向けの社員研修ビデオを出したりと、したたかに稼いでいるようです。


ジョンを語らせたら、日本で「The Total Frontal John Cleese」(akkoさん)の右に出るサイトはいないと思われます。ジョン萌え〜なデータ満載です!

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