パイソン映画のうち『ホーリー・グレイル』と『ライフ・オブ・ブライアン』で主役を務めたグレアム・チャップマン。彼は、軍人や警察官などの男性的なキャラクターを多くこなしましたが、その一方でドラッグ・クィーンのようなケバケバしい女装やペパーポット役(キィキィ声のおばさん)もよく似合っていました。医者のような権威的な役を演じていても何処か情けなく、しかし、バカバカしいキャラクターにあっても気品を醸し出す、そんな二面性こそがグレアムの魅力なのかもしれません。 グレアムは1941年、イギリスのレスターに警察官の息子として誕生。小さい頃は親に死体が転がる空襲の跡地を連れまわされたと言いますから、親御さんも相当とんでもない人だったようです。子供の頃からコメディに親しんでいたグレアムは、演劇の盛んだった学校で演技することの楽しさを覚える一方、お兄さんの影響で医学にも興味を抱くようになっていきました。そんな彼は、14才の時、テレビでケンブリッジ大学のコメディー・サークル「ケンブリッジ・フットライツ Cambridge Footlights」の公演を見て、「医学を学ぶならケンブリッジに行こう」と決意。 って、ホントに実現しちゃうところが凡人との差。念願かなって、ケンブリッジ大学のエマニュエル・コレッジで医学を学ぶようになります。しかし入学1年目はフットライツへの入会を断られてしまったため(伝統あるフットライツには入会に際しオーディションがあったそう)、参加することが出来たのは2年生になってから。そのとき出会ったのが、1年生でフットライツに入ってきたジョン・クリーズで、2人は以降、長きに渡ってライティング・チームを組むこととなります。 こうして、医学を学ぶ傍ら、フットライツでの活動をこなしていたグレアムでしたが、ある時、その二つを秤にかけねばならない事態に直面。ロンドンのバーソロミュー病院で医師の座を得た時と同じ頃に、グレアムにはフットライツのニュージーランド公演の誘いが…。グレアムは結局、両親を説得した末、医学を1年間保留する形で公演に参加。医師資格を獲得した卒業後も、プロとしてコメディの世界へ進んでいったのでした。 モンティ・パイソンでのグレアムは、主にジョン・クリーズと共にスクリプト(脚本)を制作。2人とも、議論の応酬で展開する言語的なスケッチ─「おねむちゃ〜ん」(5話)や「死んだオウム」(8話)─を好んで書いていました。ジョンがこつこつと理論を組み立てていくタイプだとしたら、グレアムは発想のひらめきに秀でたタイプの人間だったようです。グレアムは190pという長身(ジョンの次に高い)のせいもあってか、『空飛ぶ〜』では軍人や警察官、そして医者などの権威的な人物を多く演じていました。でもグレアムの場合、「飛行訓練」(16話)のアネモネ教官のように、嫌味を言ってもどこか子供じみていて、ジョンの辛辣さとは別種の可笑しさがありますね。 また女装役やオカマ役も彼の十八番で、「英国歯科医師協会」のビック・チーズ(4話)や「アッチラ・ザ・フン・ショー」の娘役(20話)など、他のメンバーにはない豪華さと愛らしさが魅力。それから、「ベッド売場」(8話)のランバートや、「レイモンド・ラクジュアリー・ヤッチト」(19話)のような、オドオド気味のキャラクターも憎めません(些末で申し訳ないですが、「ベット売場」スケッチの、エリック「ランバート?」→グレアム「んー」の返事が好き)。 こうしたブラウン管での愉快な姿とは裏腹に、この頃はグレアムにとって、アルコール依存症に苦しめられた時期でもありました。もともと大酒飲みだったグレアムは、次第にアルコールが手放せなくなり、スクリプト制作中にぼんやりしたり、セリフが覚えられなかったりしたことも少なくなかったそうです。一時は命に関わるほど重症だったそうですが、しかし『ライフ・オブ・ブライアン』の頃には依存症を克服。 パイソン以降は、BBCの番組に出演したり、アメリカで講演旅行をしたりしましたが、日本で見られる活動としては映画『チーチ&チョン、イエローパイレーツ Yellowbeard 』('83年)があります。チーチ&チョンなんて題してありますが、れっきとしたグレアム主演作品で、ジョンやエリックも出演しています。この他に、『Odd Job』('73)という作品もありますが、こちらは日本未公開で、欧米でもビデオ発売されていないようです(『イエローパイレーツ』より面白そうな感じがするんですけどね)。 ちなみにグレアムはホモセクシャル。女性のフィアンセがいた時期もあったようですが、『空飛ぶ〜』が始まった'69年以来、20年間、脚本家のデヴィッド・シャーロック氏と共同生活を送りました。2人は、リバプールからの家出少年ジョン・トミチェックを合法的な養子として迎え入れています(しかし彼も1991年に死去)。グレアムは自らがホモセクシャルであることを公表し、1972年の『ゲイ・ニュース Gay News』創刊に参加するなど、人権問題の解決支援にも取り組みました。 もちろん、彼がホモセクシャルであっても、パイソンズのメンバーにとっては何の障壁もなし。それどころか「哲学科のブルース」(22話)の「ホモでないこと」など、それをネタに沢山のホモセクシャル・スケッチ(?)を生み出したのでした。マイノリティや差別問題に対峙したときに欧米人が発揮する、ある種の「強靱さ」─彼らから目を逸らさない強さ─って、こうしたユーモア・センスの中から育まれているものなのかもしれませんね(その強さの善し悪しについては、判断が別れるところでしょうが)。 しかし、そんなグレアムも1989年10月4日、咽頭ガンのために48歳という若さでこの世を去ってしまいました(一部雑誌に死因はエイズと報じられていますが、それは間違い)。その日は、くしくもパイソン20周年記念の前夜であったため、翌日に予定されていた記念パーティーは土壇場でキャンセル(テリーJに言わせると、それは「パーティに対する史上最高のクソクラエ行為」だそう)。そのかわりパイソンメンバーをはじめとする多くの友人たちによって、パーティとも呼べるようなお葬式が開かれました。ジョンは「死んだオウム」スケッチのセリフを使って弔辞を読み、最後はエリックが中心となって「Always Look on the Bright Side of Life」を合唱。みんなの笑い声が聞こえてくる、温かいお葬式だったようです。 |
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