キャロル・クリ−ヴランド Carol Cleveland

 

コニー・ブースやニール・イネスなど、パイソンズを語る上で欠かせないサブ・メンバーは数名いますが、「7番目のモンティ・パイソン」と呼ぶに相応しいのは、やはりキャロル・クリーヴランドではないでしょうか。彼女は、「空飛ぶモンティ・パイソン」第1シリーズ以降、モンティ・パイソンのほぼ全作品に出演、名脇役として長年、パイソンズを支えてきました。

 キャロルは1943年、ロンドンのイースト・シーン East Sheen に生まれました。両親はともにイギリス人俳優で、出会ってから10日目には結婚という大恋愛でしたが、父親はキャロルが3歳の時に家出。その後、母親がアメリカ人の空軍兵と再婚したため、キャロルが5歳の時に家族でアメリカへと渡りました。
キャロル・クリ−ヴランド
「私たちはアメリカに渡って、あちこちを転々としました。フィラデルフィアで1年過ごした後、テキサスのサン・アントニオで6年半暮らし、それからカリフォルニアのパサデナに引っ越して、そこには7年ほど住んだかしら。私が通ったのは、パサデナにあるジョン・マーシャル・ジュニア・ハイスクールとパサデナ・ハイスクール。私はイギリス生まれのアメリカ育ちなんです。2つのお国柄が身に付いちゃったのね」(Kim Howard Johnson 著 『The First 28 years of The Monty Pytho』 より)
 キャロルは5歳の頃からバレエを習い始め、アマチュア劇団のダンサーとして活動していました。女優になろうと決心するきっかけとなったのが、12歳の時に出演した「シンデレラ」。

キャロル・クリ−ヴランド
「シンデレラ役の子が土壇場になって、足を怪我してしまい、その役が私にまわってきたんです。これが私のターニング・ポイントとなりました。演技がどんなに楽しいものなのか、はっきりと分かったんです。その瞬間から、わたしは女優以外の何者にもなりたいとは思わなくなりました」(同上)
 祖父母が体調を崩したため、1960年、キャロルは再びイギリスへ戻りました。女優になることを決意した彼女は、高校卒業後、奨学金を受けながら、イギリスの伝統ある演劇学校「ロイヤル演劇アカデミー (RADA) 」に進学。RADAからは「そんな鼻にかかったアメリカン・アクセントがあっては、イギリスで仕事を見つけることは難しいだろう」と言われたキャロルでしたが、その欠点が逆に功を奏し、彼女には「アメリカ女性役」の仕事が多く舞い込みました。
 
 主な出演作品は、『The Saint』、『The Avengers 』(1961年放送。邦題『おしゃれマル秘探偵』。「A Touch of Brimstone」 の回に出演しているそう)など。また、チャールズ・チャップリン監督の『A Countess from Hong Kong (邦題「伯爵夫人」)』にも、看護婦役として少しだけ出演しました。

キャロル・クリ−ヴランド
「ソフィア・ローレンはスターでした。彼女と同じ場面に立つことは出来ませんでしたけど、ぜひ共演したいと思ってました。彼女を、とても尊敬しているんです。私の役は看護婦で、ほんの端役でしたが、それでもチャーリー・チャップリンに指示されたときには興奮しましたね。ソフィア・ローレンとマーロン・ブランドはチャップリンをとても尊敬していて、何でも彼の言うとおりに動いていました。チャップリンの体は衰え、年老いては見えましたが、それでも彼は出演者たち全員に、もちろんマーロン・ブランドにも指示を与え、チャップリン流のバカな歩き方をさせたんです!私には、それがとても素敵なことに思えました」(同上)。
 その後もドラマやテレビ番組に多数出演、スパイク・ミリガンやピーター・セラーズら有名なコメディアンとも仕事をするようになりました。未来のパイソンズに出会うチャンスには恵まれませんでしたが、こうしたコメディ番組の出演が、彼女を後のモンティ・パイソンへと導いていったようです。

キャロル・クリ−ヴランド
「BBCでは沢山のコメディアンたちと一緒に仕事をしたんですよ。チャーリー・ドレイク Charlie Drake 、ロニー・コーベット Ronnie Corbett 、ロニー・バーカー Ronnie Barker 、スパイク・ミリガン Spike Milligan 、ロイ・ハッド Roy Hudd 。私はいつも、いつも自分に向かって、こう言い聞かせるようにしていました――グラマーなマヌケ役。滑稽なセリフを2、3行与えられた、背の高いグラマラスな女の子。かわいいけど、おかしな子」(同上)。

 1969年、「空飛ぶモンティ・パイソン」の制作を開始したメンバーたちは、番組に出演してくれる女優を探していました。彼らが必要としているのは、すでに出来上がっているスケッチのいくつかに出演してくれる女の子であり、その後の出演については深く考えていなかったようです。そんな折、キャロルの名前が「空飛ぶ」のプロデューサー、ジョン・ハワード・ディヴィスの耳に入り、さっそく彼女の出演が決まりました。

 コメディ番組に出演した経験のある彼女は、今回の仕事も似たようなものなのだろうと考えていましたが、しかし、モンティ・パイソンは他のどの番組とも異なっていました。脚本を読んでも、内容がつかめず、キャロルは不安な気持ちのまま、リハーサルに臨みました。

キャロル・クリ−ヴランド
「最初のリハーサルの日、私は浮かない顔で座っていました。というのも、どう進行しているのか、全く理解できなかったんです。いったい何がどうつながっているのか、さっぱり。彼らの頭はどうかしているとしか思えませんでした。だから、私はこう考えるようにしました。――とにかく飛び込んでいって、彼らの言うとおりにやってみよう。そうすれば、きっと上手くいくはずよ――」(同上)

 「空飛ぶモンティ・パイソン」で、キャロルが一番最初に出演したスケッチは何か?こう質問されて、真っ先に思い出すのは、キャロルがグラマーな妻役を演じた「結婚カウンセラー」スケッチではないでしょうか。夫には目もくれず、カウンセラーに色気を振りまくキャロルの演技は、マイケル演ずるアーサー・ピューティーの情けなさを一層引き立ていました。

キャロル・クリ−ヴランド
「あのスケッチで、私がやるべきことはあまりありませんでした。クスクス笑うことを除けばね。あれが、お馴染み《クリーヴランドのクスクス笑い》の初お披露目です。メンバーもあの笑い方が気に入って、それから何度も使ってくれました。素晴らしい笑い方だと思ってくれたんですね。なかでもジョンのお気に入りとなりました。メンバーたちは、よくこう言ったものです。『オーケー。じゃあクスクス笑ってくれ、キャロル。クスクスだぞ!』」。(同上)

しかし、実はもっと意外な場面で「初登場」。第2話の冒頭にある「空飛ぶ羊」スケッチです。

キャロル・クリ−ヴランド
「二人の男性が空飛ぶ羊について話し合っているんですが、その後ろでいろいろな羊の鳴き声が聞こえてくるでしょう。『メェェェェェー』という鳴き声の間で、ときどき聞こえる『メェッ』という子羊の声、あれが私です!子羊が地面に落ちる、あの場面が私に与えられた最初のセリフなんです」(同上)

 リハーサルでの不安とは裏腹に、彼女の演技力はすぐさま、パイソンズの目にとまりました。プロデューサーはキャロル以外にも、もっと別の女優たちを起用するつもりでいましたが、メンバーたちはこれに反対し、これからもキャロルを起用すると主張しました。

キャロル・クリ−ヴランド
「それについては、ちょっとした仕切屋がいたんですよ。というのも、その頃、プロデューサーがジョン・ハワード・ディヴィスからイアン・マクノートゥンに代わったんです。イアンには自分なりのアイデアがあって、起用する予定だった女優も何人かいたんじゃないかしら。ですから、イアンとパイソンズの間には、些細ながらも意見の食い違いがありました。でも、彼らは『いや、我々はキャロルでいく』と言い張り、断固として譲らなかったんです。このときの感謝の気持ちは、いつになっても忘れることができません」(同上)

テリー・ジョーンズ
「キャロルは、役に自分をはめ込むためのインスピレーションを持っていた。僕たちが望んだ通りのことを、完璧に演じてくれたんだ。彼女はよく、胸の大きいセクシーな女性の役をやっていたけど、その演技は誇張されていて、しかもおかしかった。彼女は、僕たちが出来ない残りの部分を、上手に演じてくれたよ。後任のイアン・マクノートゥンは、別の女の子たちをショーに使おうとしていたけど、期待できない子ばっかりだった。ショーに呼ばれて、それから周りと調子を合わせてやっていくというのは、とても難しいことだからね。でも、キャロルなら出来た。大きなスケッチのときは、彼女の起用を押し通したが、小さいスケッチになると、イアンの言うとおり、別の子を使わざるをえなかった。第1シリーズは特にね。でも、彼女たちは決して、キャロルのようには出来なかったんだ」(同上)

 レストランのドタバタに巻き込まれて戸惑ったり、訳の分からない医者にウンザリしたり、情けない夫に怒りをぶつけたり。まともな脇役をやっていても、キャロルの振る舞いには、どことなく愛らしさがありました。そんなコケティッシュな演技は、逆にパイソンズのブラックな部分を引き立てていたのではないでしょうか。また、「手旗信号版『嵐が丘』」(第15話)のように、真面目な表情していても、なぜかコミカルな空気が漂うキャロル。こうした「才能」も、メンバーたちに見込まれた理由なのかもしれません。

マイケル・ペイリン
「キャロルに、どんな演技をすればいいのかなんて、説明する必要は全くなかった。彼女にはパイソン流の考え方が、すっかり身についていたからね。みんなを笑わせるコツを、本能的に知っていたんだ。必ずしも、大げさに振る舞ったり、間抜けなことをやったりする必要はない。一番大切なのはチームワークだ。みんなと〈笑い〉を分かち合うことなんだ。とりわけ面白かったのは、キャロルがバカ馬の恋人役をやったときだね。『ああ、バカ馬さん。すっごく愛してるワ』。こんなふうに、素晴らしい演技をしてくれたんだ。彼女が傲慢になることなんて、一度だって無かったよ」。(同上)

 こうしてメンバーからも信頼をおかれ、シリーズを重ねるごとに出演も増えていったキャロルですが、「空飛ぶ」の脚本制作に関わることは最後までありませんでした。

キャロル・クリ−ヴランド
「私も(ミーティングに)出席すれば良かったわ。そうすれば、テリーがジョンに椅子を投げつけるところも見られたのに!後になって、私も参加できたら、どんなにか嬉しかったのにと思いました。彼らの関係が上手くいかなくなったときも、私は蚊帳の外にいましたから」
「ステージではどんな衝突も見たことはありません。彼らは、まわりの人々にメンバー内のいざこざを見せないようにしていました。スタジオのセットでも、リハーサルでもありませんでした。たぶん、オフィスや制作室でスクリプトを書いているときに、やり合っていたんでしょうね。ジョンとテリー・ジョーンズがしょっちゅう衝突していて、スケッチをどんなふうにやるのかで意見が食い違っていたことは知っていましたが、それがどの程度のものだったのかは、後になるまで分かりませんでした。『The First 20 Years of Monty Python 』を読んで初めて、椅子投げ事件があったことを知ったくらいですからね。でも、目に浮かぶようだわ!」

マイケル・ペイリン
「彼女は、『モンティ・パイソン』になりたいとも考えていなかったし、脚本を書きたいと望んでもいなかった。僕たちがオイシイ女性役を書かないからといって、妬んだりする様子も全然なかったね。キャロルは自分の仕事を楽しんでやっていたし、どうすれば上手くできるかも分かっていた。僕たちがキャロルに役を与えるとき、そこには何かしら信頼感のようなものがあったんだ。彼女がそれにどうやって応えてくれたのか、それがいかに申し分のないものだったかは、ご覧のとおりさ」(同上)

  その後も、キャロルは7番目のパイソンズとして、映画やステージなどに参加する一方、パイソン以外でも、テレビ・ドラマやバラエティ番組で活躍。1970年ごろ、「空飛ぶ」第4シリーズにも少しだけ参加していたPeter Brettと結婚。現在はイギリス・ブライトンに住み、演劇を中心に活動を続けているそうです。



もっとキャロルのことが知りたい!という君は Castle Cleveland へゴー!と思っていたら、なんか重苦しい感じで閉鎖されてました。よくわかんないが、頑張れ。
そのかわり、キャロルのオフィシャルサイトが出来ましたよ。

[メンバー紹介 トップへ [このページのトップへ]